モデルやタレントとして活躍している西山茉希さん。
スタイルの良さや明るいキャラクターが人気ですが、「西山茉希さんの実家って金持ちなの?」「両親はどんな人?」「学歴は?」といったことも気になる方が多いようです。
西山茉希さんの実家は、新潟県長岡市にあるということで、育った環境からも裕福さを感じるエピソードがいくつかあるようです。
また、父親や母親の職業、家族との関係などからも、西山茉希さんの人柄が伝わってきます。
西山茉希さんの兄弟姉妹や家族について、また学歴や学生時代のエピソードなども見ていきましょう。
西山茉希の実家は金持ち?
西山茉希さんの実家は、お金に余裕のある家庭だったと考えられます。
はっきり「金持ち」と言い切れる証拠はないものの、西山茉希さんのこれまでの芸能活動や、実家でのエピソードを見ると、ゆとりのある暮らしぶりだった感じがします。
地元は新潟県長岡市で、高校時代から東京でモデル活動を始めています。
長岡市から東京まで通うには、それなりの費用がかかるので、実家のサポートがあったのは間違いなさそうです。
そう考えると、長岡にある実家は、金持ちとまではいかなくても、わりと裕福だったと言えそうです。
実家がお金持ちといわれる理由
西山茉希さんの実家が金持ちだといわれている理由のひとつは、父親が会社を経営しているという話があるからです。
どんな仕事をしているかは明かされていませんが、「社長」と聞くと、ある程度の収入があるイメージですよね。
西山茉希さんは地元の長岡の高校に通いながら、すでに東京で芸能活動を始めていました。高校生が新幹線で行き来して活動するには、やっぱりお金のサポートが必要です。
そう考えると、実家に経済的な余裕があったのは確かだと思われます。
地方に住みながら早くから夢を追えたのは、実家の協力があったからこそかもしれませんね。
裕福さを感じるエピソード
西山茉希さんが高校生のときに東京で芸能活動を始めたことは、実家にある程度の余裕があったからこそできたことだと思います。
高校は新潟県長岡市にありましたが、東京まで通ってオーディションを受けたり、芸能事務所に入ったりと、かなり早い時期から活動していたそうです。
地方に住む高校生が東京に何度も行くには、交通費や滞在費などもかかりますよね。
さらに、モデルとして活動し始めたころは収入も不安定だったはずなので、その間のサポートがあったと考えると、実家がしっかり支えていたのがわかります。
そうした背景からも、金銭的にゆとりのある家庭だったのではないでしょうか。
実家の場所は新潟県長岡市
西山茉希さんの実家は、新潟県の長岡市にあります。
長岡市は自然もあって街もほどよく整っている、住みやすい地域。
西山茉希さんはそんな長岡市で生まれ育ち、高校も地元の学校に通っていました。
芸能活動は東京が中心になってからも、今でもたびたび長岡に帰っている様子がSNSなどで見られます。
実家のある長岡には、家族との思い出や学生時代の記憶がたくさん残っていて、西山茉希さんにとって特別な場所なんだと思います。
こうして落ち着いたふるさとがあることも、実家がしっかりしている=金持ちという印象につながっているのかもしれませんね。
西山茉希の父親・母親の職業は?
西山茉希さんの父親と母親は、ともに家族思いであたたかく、娘の成長を見守って支えてきました。
父親の職業や性格は?しっかり者のパパ?
西山茉希さんの父親の職業建設関係だったようです。
でも面白い話もあって。
父は建築会社に勤めていて、車の中に1つだけヘルメットがあったんです。
どーんと構えていたはずなのに、それをちゃっかり一人でかぶってたんですよ!(笑)ずっと家族の笑い話になってますが、考えてみれば、車の中にもいざというときの備えは必要ということですよね。
引用 「いつもしも 子供とママのリアル防災」より
西山茉希さんの父親は一般の方なので、くわしい情報は出ていません。
でも、西山茉希さんの話からは、家族思いで感情が豊かな父親ということがよくわかります。
たとえば、西山茉希さんが雑誌『CanCam』に載ったときには、発売日に何冊も買って車のトランクにしまっていたという微笑ましいエピソードもあります。
さらに、お酒の席で家族のことを話して感極まって涙することもあるそうです。
西山茉希さん自身も「父の人間力に追いつけない」と語っていて、両親をとても信頼しているんですね。
母親は西山茉希をどう育てた?
西山茉希さんの母親は、娘の気持ちを大切にしながら、そっと見守るような育て方をしてきたそうです。
新潟県中越地震があったとき、西山茉希さんは東京での芸能活動を続けるか迷っていました。
そのとき、母親は「お兄ちゃんがいる東京に行きなさい」と声をかけて、背中を押してくれたそうです。
そばで支えるだけじゃなく、離れていても信じてくれる姿が印象的です。
母親はパンの製造の仕事をしていたこともあり、西山茉希さんと一緒にセブンイレブンでバイトをした経験もあると話しています。
仕事と家庭を両立しながら、娘の夢も応援してきた母親は、現実的であたたかい人だったことが伝わってきます。
西山茉希の兄弟や家族構成
西山茉希さんには兄と弟がいて、三人兄弟の真ん中です。
家族構成は5人で、父・母・兄・本人・弟の5人家族です。
続柄 | 名前(ふりがな) | 備考・エピソード |
---|---|---|
父 | 非公開 | 職業は建築関係。 雑誌『CanCam』を何冊も買って保管していた。 |
母 | 非公開 | パン製造の仕事に携わっていた。 西山茉希さんとセブンイレブンでアルバイト経験あり。 見守る育て方。 |
兄 | 西山 治希 (にしやま はるき) | 西山茉希さんより2歳年上。上京後は一緒に同居。 仲の良い関係。 SNSなどにも登場。 |
本人 | 西山 茉希 (にしやま まき) | モデル・タレント。 兄と弟に支えられながら東京で活動。 |
弟 | 西山 和希 (にしやま かずき) | 西山茉希さんより3歳年下。兄とともに上京し、西山茉希さんと3人で約9年間同居。 仲の良い兄弟関係。 |
西山茉希さんは上京してから、まずお兄ちゃんと2人で東京暮らしをスタートさせたそうです。
そのあと弟も加わって、なんと兄弟3人で約9年間も一緒に暮らしていたんだとか!
ごはん作ったり、家事を分担したり、助け合いながら暮らしていたみたいです。
そんな生活を聞くと、兄弟仲の良さが伝わってきますよね。
SNSにも3人一緒の写真がよくアップされていて、見ているだけでほっこりします。
西山茉希さんにとって、兄弟は大事な味方だったんだな〜と感じます。
兄弟エピソード
西山茉希さんは兄と弟と3人で東京で約9年間一緒に暮らしていたというエピソードがあります。
西山茉希さんがモデルとして活動を始めたころ、まずは兄との2人暮らしからスタートし、
その後弟も加わって兄弟3人での生活が始まりました。
家事や仕事の合間に協力し合いながら暮らしていた様子は、西山茉希さんのSNSやインタビューでも語られています。
兄弟でウクレレを弾いたり、誕生日に食事会を開いたりと、日常の中に絆を感じるエピソードがたくさんあります。
兄弟との関係が深く、家族全体のつながりの強さも伝わってきます。
西山茉希さんは兄・弟との3ショット写真をよくSNSにアップしており、「西山三兄弟」として親しまれています。
3人で「西山家ごはん」を作るライブ配信をしたこともあり、母親のレシピを再現するなど、家族の思い出を大切にしている様子が伝わってきます。
さらに、兄弟それぞれの家族とも一緒に集まり、13人で集合写真を撮るなど、親戚を含めた家族の交流も深いようです。西山茉希さんにとって、家族はいつも心の支えになっている存在です。
西山茉希の学歴
西山茉希さんの学歴は、小学校から高校までが判明しており、大学には進学していません。
学校名 | 所在地 | 入学年度 | 卒業年度 | 備考 |
---|---|---|---|---|
長岡市立豊田小学校 | 新潟県長岡市 | 1992年4月 | 1998年3月 | 小学校時代はバレーボールを開始し、活発に。 |
長岡市立旭岡中学校 | 新潟県長岡市 | 1998年4月 | 2001年3月 | バレーボール部に所属し、県選抜・全国大会にも出場。 |
新潟県立長岡大手高等学校 家政科 | 新潟県長岡市 | 2001年4月 | 2004年3月 | ファッションに目覚め、高校時代にスカウトされる。 |
—(進学せず) | — | — | — | 高校卒業後は大学に進学せず、芸能界へ進む。 |
出身小学校は長岡市立豊田小学校で、活発な性格に変わったのはこの時期です。
中学は長岡市立旭岡中学校に進学し、バレーボールに打ち込んで県選抜に選ばれるほど活躍しました。
高校は新潟県立長岡大手高校家政科で、運動は得意でしたが、他の教科は苦手と語っています。
大学には進まず、学歴としては高校卒業が最終学歴です。
西山茉希さんの学歴には、地元長岡でののびのびとした成長と、高校時代にモデルとしてスカウトされた転機となりました。
長岡市立豊田小学校(1992年〜1998年)
西山茉希さんが通っていた小学校は、新潟県長岡市にある豊田小学校です。
小さい頃はちょっと恥ずかしがり屋だったそうですが、兄弟やいとこと遊ぶうちにどんどん元気になっていったんだとか。
小学5年生のときにはスポーツ少年団に入って、バレーボールを始めたそうです。
体を動かすのが得意だったみたいで、ここからどんどん活発なタイプになっていったみたいですね。
長岡市立旭岡中学校(1998年〜2001年)
中学校は長岡市立旭岡中学校に進学しています。
西山茉希さんはこのころ、バレーボール部で毎日練習に励んでいました。県選抜にも選ばれて、なんと全国大会に2年連続で出場するほどの実力だったそうです。
「生活の全部をバレーに捧げてた」と自分で話すくらい、真剣に取り組んでいた時期だったようです。
仲間との絆もきっと深かったんでしょうね。
新潟県立長岡大手高等学校 家政科(2001年〜2004年)
高校は、新潟県立長岡大手高校の家政科に通っていました。
中学でバレーを引退して、高校では部活には入らず、のびのびとした学校生活を送っていたみたいです。
高校では私服OKだったらしく、おしゃれな先輩たちに憧れてファッションに興味を持ち始めたそうです。
そしてこの頃、東京・銀座でスカウトされたことがきっかけで、モデルへの道がスタートします。
大学には進学せず、モデルの道へ
高校を卒業したあとは、大学には進学していません。
高校時代にスカウトされていたこともあり、卒業後はそのまま東京で本格的にモデル活動をスタート。
2005年には人気雑誌『CanCam』の専属モデルとしてデビューしています。
進学ではなく、自分の夢に向かって一歩を踏み出した選択が、西山茉希さんらしくて素敵ですよね。
学生時代の性格や友人との関係は?
西山茉希さんは、学生時代からとっても明るくて元気なタイプだったそうです。
小学生のころは、外遊びが大好きで、鬼ごっこでは自然とリーダー役になっていたんだとか。
男の子たちともよく一緒に遊んでいたようで、負けず嫌いな一面もあったみたいです。
中学ではバレーボール部に入り、全国大会に出るほどのがんばり屋さん。
仲間との絆もすごく深かったそうです。
高校に入ってからは、おしゃれな先輩たちに刺激を受けてファッションに興味を持ち始めました。
友達と一緒にごはんを食べたり、学校生活も楽しく過ごしていたようです。
大学には進学していませんが、学生時代のいろんな経験が、西山茉希さんの魅力につながっているんだなと思います。
まとめ
西山茉希さんの実家は、経済的にも心の面でも豊かだったと言えそうです。
父親は感情豊かで家族思いの人。
雑誌を何冊も買って保管するくらい、娘の活動を応援してくれていました。
母親は働きながらも、娘の気持ちを大切にして見守るタイプで、いざというときには背中を押してくれる頼れる存在でした。
兄と弟とはとても仲が良く、3人で東京暮らしをしていた時期も。
支え合いながら一緒に過ごしてきたエピソードからも、家族の絆の強さが伝わってきます。
また、長岡市で育った西山茉希さんは、小・中・高と地元の学校に通い、大学には進学せずモデルの道へ。
学生時代はバレーボールに打ち込んだり、おしゃれに目覚めたりと、今の魅力の原点がたくさん詰まっています。
西山茉希さんの実家が「金持ち」とはっきり言い切ることはできませんが、環境や家族の支えを考えると、十分に恵まれた家庭だったのは間違いなさそうですね。