シンガーソングライターとして存在感のある米津玄師さん。
独自の世界観や繊細な楽曲に魅了されている方も多いですよね。
そんな米津玄師さんの実家について、「金持ちなの?」「どんな家族で育ったの?」と気になる人もいると思います。
中学生の頃から音楽機材をそろえ、自宅で曲を作っていたという話もあり、
「実家が金持ちなんじゃ…?」というイメージを持たれることもあるようです。
でも実際のところ、米津玄師さんの実家は豪邸に住んでいた!みたいな感じではなく、
文化的で静かな環境の家庭だったみたいです。
今回はそんな米津玄師さんの実家や家族のこと、音楽活動の原点についてまとめてみました。
米津玄師の実家は金持ち?
米津玄師さんの実家は金持ちだという明確な事実はないのですが、音楽や美術にしっかりお金をかけられる中の上の家庭のようです。
幼少期から音楽機材がそろっていた
米津玄師さんの実家が金持ちなのではと言われる理由の一つが、中学生のころから本格的な音楽制作をしていたという点です。
なんと、中学2年生のときにはDTM(デスクトップミュージック)を使って、
自宅で曲作りをしていたそうなんです!
しかもその環境がけっこう本格的で、今でこそ当たり前になったDTM機材ですが、
当時はそろえるのにかなりの費用がかかっていました。
そのとき必要だった機材と値段
機材 | 内容 | 価格の目安 |
---|---|---|
パソコン(作曲用) | 処理能力の高いPC | 10万〜20万円以上 |
作曲ソフト(DAW) | Cubaseなどの有名なソフト | 5万〜10万円 |
MTR(多重録音機器) | 楽器や歌を録音できる機材 | 3万〜10万円 |
オーディオインターフェース | マイクや楽器の音をPCに取り込む機材 | 1万〜2万円 |
モニターヘッドホン or スピーカー | 正確に音を聴くための再生機器 | 5千円〜3万円 |
マイク | ボーカル録音などに必要 | 1万円前後 |
MIDIキーボード | 音を打ち込む鍵盤機材 | 5千円〜2万円 |
全部合わせると、20万〜50万円くらいはかかることに!
「中学生の趣味でそろえるには、ちょっと現実的じゃないかも…」と思いますよね。
それだけに、親御さんの理解と経済的な余裕がなければ、実現できない環境だったということがよくわかります。
派手な暮らしではなかったとはいえ、米津玄師さんの実家は、音楽や芸術にしっかりお金をかけられるだけの「中の上」クラスの家庭だった可能性が高いですね。
実家にピアノがあった?お姉さんの影響も
米津玄師さんの家には、ピアノが置かれていたそうです。
これは米津玄師さんのお姉さんが習っていたことがきっかけなんだとか。
当時の家庭用ピアノといえば、アップライトでも新品で30万円〜50万円以上、グランドピアノだと100万円以上することも珍しくありません。
グランドピアノだったかどうかまではわかっていませんが、
いずれにしても家にピアノがある=ある程度の経済的ゆとりがある家庭というイメージがありますよね。
しかもピアノを置けるだけの広さの部屋があるということも注目です。
米津玄師さんの実家って金持ちなのではという話も、こういったことから自然と広がっていったのかもしれません。
派手じゃないけど「余裕のある家庭」
ネットなどでも「米津家は大富豪ではないけど、教育や表現活動に投資できる余裕があった家庭」と言われています。
金持ちというよりも、心にもお金にも余裕のある家庭といった感じでしょうか。
米津玄師の実家「徳島県津田市」について
米津玄師さんの実家は、徳島県津田市(正確には徳島市津田町)という場所。
あまり知られていない地域かもしれませんが、米津玄師さんの独特な感性や落ち着いた雰囲気の背景には、この「津田町」の雰囲気が関係しているのかもしれません。
のんびりとした港町・津田町
米津玄師さんの実家がある徳島県徳島市津田町は、海の近くにある小さな港町です。
まわりには木材工場や倉庫が点在し、観光地のような華やかさはありませんが、
その分とても静かで、のんびりとした空気が流れています。
派手な都会の暮らしとはちがって、地元の人たちが穏やかに暮らしている、どこか温かみのある町。
そんな場所で育ったからこそ、米津玄師さんの音楽にはどこかやさしくて、心にしみる雰囲気があるのかもしれませんね。
津田小・津田中に通っていた
米津玄師さんは、小学校は徳島市立津田小学校、中学校は徳島市立津田中学校に通っていたそうです。
どちらも地元の公立校で、「実家が金持ちだったから特別な私立に通っていた」というわけではありません。
このことからも、米津玄師さんの実家は「派手なお金持ち」ではなく、あくまで一般的な、落ち着いた家庭だったことがうかがえます。
自然と文化がちょうどいい町
津田町は、自然に囲まれながらも徳島市の中心地に近いという、ちょうどいいバランスの場所です。
田舎すぎず都会すぎない環境だからこそ、米津玄師さんのように繊細で感性豊かな人が育ちやすいのかもしれません。
自然の中でのびのびと過ごしながら、文化にも触れられる土地で育ったからこそ、
今の米津玄師さんの音楽や表現に魅力があるだと思います。
米津玄師の家族構成
米津玄師さんの家族は、お父さん・お母さん・お姉さん・本人の4人家族です。
お姉さんの影響でピアノが家にあり、幼いころから音楽に触れていた環境だったようです。
続柄 | 特徴・情報 |
---|---|
父 | コンピューター関係の会社員。富士通勤務説も。寡黙で口数少ないが、支援は惜しまなかった |
母 | 美術の教員免許を持つ。内職でチラシ制作をしていた時期も |
姉 | 幼少期にピアノを習っていた。職業などは非公開 |
父親はIT系のお仕事だった?
米津玄師さんのお父さんはIT関係の仕事をしていたと言われています。
だからこそ、家にパソコンや録音機材があったというのも納得です。
とても多くを語るタイプではなかったようですが、息子のやりたいことを静かに支えてくれる存在だったんですね。
米津玄師の音楽機材エピソードなど
米津玄師さんの実家が金持ち?という話には、中学生のころから始まった本格的な音楽制作と、機材をそろえられる家庭環境があったようです。
音楽の道が開かれた原点には、実家の支えがしっかりあったんですね。
中学生の頃から音楽に集中できる家だった
米津玄師さんがDTMで作曲を始めたのは中学2年生のころでしたが、
改めて注目したいのは、その時点で家に音楽制作の環境が整っていたことです。
高性能なパソコンや音楽ソフト、録音機材などは、当時としては簡単にそろえられるものではありません。
このことからも、米津玄師さんの実家には、ある程度の経済的なゆとりと音楽に理解のある家族の支えがあったと思います。
また、米津玄師さんはインタビューで「音楽はずっとひとりでやってきた」と語っていますが、そうした環境を用意してくれたご両親の存在が大きかったのかもしれませんね。
家庭が金持ちだったかどうかは別として、好きなことに打ち込める空気や環境があったことが、今の米津玄師さんにつながっているのは間違いなさそうです。
バンド活動もしていた高校時代
米津玄師さんは高校に入ってからも音楽への情熱は冷めることなく、
「late rabbit edda」というバンドを結成して活動していました。
しかも、10代限定の音楽コンテスト「閃光ライオット」にエントリーするなど、
本気でプロを目指していたそうです。
残念ながらこの時は選考に通りませんでしたが、その頃から音楽で生きていくという強い意志があったんですね。
このように、米津玄師さんの高校時代の音楽活動も含めて見ていくと、米津玄師さんの実家が金持ちだったかどうかという話よりも、文化や芸術を大切にする家庭だったことの方が印象的ですね。
専門学校進学も家庭の支えで
米津玄師さんは、高校卒業後に大阪芸術大学付属の美術専門学校に進学しました(のちに中退)。
この学校は、実は学費がけっこう高くて、入学金と授業料だけでも初年度で125万円以上かかると言われています。
さらに、米津玄師さんはこの進学と同時に大阪で一人暮らしを始めたため、
家賃や生活費なども合わせると年間200万円以上の出費があった可能性も。
アルバイトはしていなかったそうなので、こうした費用はすべて実家からの仕送りでまかなわれていたのでしょう。
このエピソードからも、派手なお金持ちではなくても、
子どもの夢にお金を使える家庭=経済的なゆとりがある家庭だったことがわかりますよね。
まとめ
米津玄師さんの実家は、いわゆる金持ちとまではいかないけれど、音楽や美術にしっかりお金をかけられるくらいには、経済的にゆとりのある家庭だったようです。
- 中学生のころから音楽機材がそろっていた
- 家にはピアノがあって、お姉さんが弾いていた
- 専門学校への進学や一人暮らしも、家族がサポートしてくれた
中学生のころから本格的な音楽機材をそろえて曲作りをしていたり、ピアノが家にあったり、専門学校の学費や一人暮らしをサポートしてもらっていたり。
そういったエピソードを聞くと、実家が金持ちなのかな?と思われるのも自然ですよね。
でもそれ以上に、米津玄師さんの実家は、やりたいことを自由にさせてくれる、
静かであたたかい家庭だったのかもしれません。
そんな環境が、今の米津玄師さんの音楽を育ててくれたんだと思います。