テレビで見かけない日はないくらい大活躍中の「ずん」飯尾和樹さん。
ほんわかした雰囲気と、独特の「ぺっこりギャグ」で、お茶の間でもすっかりおなじみの存在ですよね。
そんな飯尾和樹さんですが、実家が金持ちなのではと気になりますよね。
特に世田谷出身というと、ちょっとリッチな育ちを想像する方もいるのではないでしょうか?
今回は、飯尾和樹さんの実家やご家族、世田谷での暮らしについてまとめてみました。
飯尾和樹さんの実家は金持ち?
飯尾和樹さんの実家は金持ちではなく、ごく普通の共働き家庭でした。
どんなふうに育ったのか、もう少し詳しく見ていきましょう。
東京都世田谷区=お金持ちのイメージ
「世田谷区出身」と聞くと、お金持ちが住んでいそうなイメージがありますよね。
芸能人が多く住んでいるエリアでもありますし、高級住宅街のイメージが強い地域です。
でも、飯尾和樹さんの子ども時代はちょっと違っていたようです。
5歳までは、目黒区祐天寺の六畳二間のアパートに住んでいてお風呂がなかったため、
近所の銭湯に通っていたというエピソードもあります。
両親は区役所にお勤めの共働き家庭
飯尾和樹さんのご両親は、ふたりとも目黒区役所にお勤めされていたそうです。
いわゆる安定した公務員のご家庭ですね。
飯尾和樹さんの実家は「金持ち」というより、ごくごく普通の共働きの家庭だったという印象です。
幼少期は風呂なしアパート暮らし
先ほども少しお話ししましたが、風呂なしアパート暮らしだったという飯尾和樹さん。
昭和の時代ならそこまで珍しいことではなかったかもしれませんが、
今の「世田谷育ちで金持ち」というイメージとはちょっと違いますよね。
「下馬」ってどんな街?今と昔の違い
飯尾和樹さんが5歳のときに引っ越した先が、世田谷区の下馬というエリア。
2025年現在の地価で見ると、87万2,333円/m²、坪単価だと約288万円とかなりの高級エリアですが、当時はまだそこまでではなかったと思います。
ご両親の通勤のしやすさを優先して選んだ場所だったそうです。
世田谷区下馬エリアの地価を、2025年現在と飯尾和樹さんが幼少期(1970年代後半から1980年代前半)頃の地価と比較した表をみてみましょう。
年度 | 地価(円/m²) | 坪単価(円/坪) | 備考 |
---|---|---|---|
1975年 | 約100,000 | 約330,578 | 飯尾さん幼少期の地価推定値 |
1980年 | 約150,000 | 約496,000 | 地価上昇期の推定値 |
1985年 | 約300,000 | 約992,000 | バブル経済前のピーク時推定値 |
1990年 | 約600,000 | 約1,984,000 | バブル経済期のピーク時推定値 |
2025年 | 約872,333 | 約2,883,000 | 最新の公示地価(2025年) |
※1975年から1990年までの地価は、過去の公示地価データをもとにした推定値です。
1970年代後半〜1980年代前半、飯尾和樹さんが幼少期を過ごした頃の世田谷区下馬の地価は、現在と比べてかなり低く、庶民的な住宅地でした。
その後バブル期に急上昇し、一時下落を経て、2025年には再び高い水準となっています。
今でこそ世田谷といえば高級住宅街の印象がありますが、当時は決してお金持ちエリアではなかったんですね。
「金持ちっぽい」と思われがちな理由
飯尾和樹さんは、今ではレギュラー番組にドラマ出演、CMにも引っ張りだこです。
それもあって「きっと実家も裕福なんでしょ」と思われがちかもしれません。
でも、実際には庶民的で堅実な家庭で育ったようです。
そのギャップも、魅力のひとつなのかもしれませんね。
飯尾和樹さんの学歴など
テレビではふわっとした雰囲気の飯尾和樹さん。
でも、学生時代はどうだったんでしょうか?ちょっと気になりますよね。
飯尾和樹さんの出身の学校や学生時代のエピソード、そして当時の夢などまとめてみました。
地元の小・中・高校に通っていた
飯尾和樹さんは、ずっと世田谷区内の学校に通っていました。
- 小学校:世田谷区立駒繁小学校
- 中学校:世田谷区立三宿中学校
- 高校:私立東京学園高校(現在のドルトン東京学園)
世田谷の街でのびのび育ったんだなぁと思うと、なんだか親近感がわきますね。
特に中学校のある三宿エリアは、おしゃれなカフェやお店が多いことで知られています。
そんな街で青春時代を過ごしていたなんて、ちょっと素敵です♪
小学生の頃は野球少年!
小学校の頃は、野球に夢中だったという飯尾和樹さん。
「早稲田大学に入って、ヤクルトスワローズに入りたい!」と思っていたほど、
プロ野球選手になるのが夢だったそうです。
将来の夢にちゃんと大学名まで入ってるのが、ちょっとかわいいですよね。
でも、飯尾和樹さんいわく「自分に野球の才能はなかった」そうで、
中学では野球をやめてしまったそうです。
高校ではバレーボール部に
飯尾和樹さんは、野球をやめたあと今度は高校でバレーボール部に入部。
部活動にしっかり打ち込んでいたことからも、学生時代は意外とスポーツマンだったことがわかります。
芸人さんになる前に、こんなスポーツの経験があったんですね。
大学進学せずにお笑いの道へ
高校卒業後、飯尾和樹さんは大学には進まず、お笑いの世界に進むことを決めました。
もともとは、公務員になろうかなと思っていた時期もあったそうです。
大学進学の推薦もあったとか。
でも、「お笑いをやってみたい」という気持ちのほうが強くなって、その道を選んだそうです。
父親と母親の反応も印象的
飯尾和樹さんが大学へ行かずにお笑いを目指すと伝えたとき、母親は反対していたそうですが、お父さんは「まあ、いいんじゃないか」と一言。
このエピソード、まさに飯尾さんらしい家族のやりとりですよね。
飯尾和樹さんの父親も「ほわっとした人」だったらしく、飯尾和樹さんの今の穏やかな性格にもつながっているのかもしれません。
飯尾和樹の家族構成など
飯尾和樹さんのやさしそうな雰囲気や、家庭的な空気感って、どこから来てるんだろう?と思うとことはありますか?
調べてみると、家族構成や子どものころの暮らしぶりに、そのヒントがたくさんありました!
続柄 | 名前 (※公表されていない場合は非公開) | 職業・特徴など |
---|---|---|
父親 | 非公開 | 元・目黒区役所 社会福祉課勤務、公務員。 穏やかで「ほわっとした人」 |
母親 | 非公開 | 元・目黒区役所勤務、公務員。 品川の蒟蒻屋の娘として育つ |
本人(長男) | 飯尾 和樹(いいお かずき) | お笑い芸人(ずん)、俳優。1968年生まれ、東京都世田谷区出身 |
妹 | 非公開 | 飯尾さんの3歳年下。 |
弟 | 非公開 | 飯尾さんの6歳年下。 |
妻 | 林 宏美(はやし ひろみ) | 元レースクイーン・読者モデル。2012年に結婚、子どもはなし |
3人きょうだいのしっかり長男
飯尾和樹さんは3人きょうだいの長男で、妹さんと弟さんがいらっしゃるそうです。
それぞれ3歳下、6歳下ということで、ちょっと年が離れたお兄ちゃんという感じですね。
両親が共働きだったので、子どもの頃から家事を手伝ったり、ごはんを作ったりもしていたとか。
なんだか、面倒見のいいお兄ちゃんだったんだろうなと想像しちゃいます。
公務員のご両親と助け合う家庭
飯尾和樹さんの父親も母親も、目黒区役所でお仕事をされていました。
父親は社会福祉課にいらっしゃったそうです。
忙しい家庭の中で、家事は家族みんなで助け合うスタイルだったそうですよ。
飯尾和樹さんが料理上手なのも、こういった家庭の空気があったからなんですね。
料理が得意なのは家庭環境が理由?
飯尾和樹さんといえば、やさしい笑顔にほんわかした雰囲気、そして料理上手なことも知られていますよね。
その料理のルーツは、実は子ども時代からずっとあったようです。
ノンストップ!の「サイコロメガネ飯」では、格安で美味しそうなレシピを披露しています。
子どもの頃から自然と料理をしてきたことで、今の「優しい雰囲気のある芸人さん」という印象にもつながっている気がしますよね。
公式ノンストップより
両親が共働きだったこともあり、小学校2年生でサンドウィッチ作りから料理をスタート。卵をつぶしてマヨネーズと混ぜたり、ツナとキュウリをはさんだりと火を使わずに作れるものから少しずつ覚えていったそうです。
そして、小学校3〜4年生の頃には「ガス検定」なるものを親から授かり、
「元栓は必ず閉める!」など家庭内ルールもばっちり。
その後はカレーやゆで卵、チャーハンなどレパートリーをどんどん増やしていったとのこと。
味付けも大さじ・小さじを使わず、「目分量&味見」が基本だったそうです。
まさに実践派ですね!
妹さんや弟さんも一緒に料理する家庭だったこともあり、家族全員がキッチンに立つ、
あったかい環境が伝わってきますよね。
こうした日々の積み重ねが、今の飯尾さんの「家庭的な優しさ」や「食べることの楽しさ」につながっているんだなと思います。

兄妹のことはあまり公表していない
妹さんと弟さんについては、職業や現在の生活はほとんど公表されていません。
でも、それだけプライベートを大切にしているってことかもしれませんね。
芸人さんになっても、家族に変な負担をかけないようにしているところに、飯尾和樹さんの気づかいが感じられます。
初孫として可愛がられて育ったエピソードも
さらに、飯尾和樹さんは「初孫」だったそうで、親戚中からとても可愛がられていたという話もあります。
今のあたたかくておだやかな雰囲気は、そんなたくさんの愛情を受けて育ったからこそかもしれませんね。
飯尾和樹さんの今の暮らしは?
今ではテレビでも引っぱりだこで、「実は年収すごいんじゃない?」なんて声もある飯尾和樹さん。
今の穏やかで落ち着いた暮らしぶりには、しっかりとした積み重ねがありました。
ここでは、そんな飯尾さんの現在の生活についてまとめてみました。
「ずん」結成までは長い下積みも
今ではすっかりおなじみの「ずん」ですが、結成されたのは2000年です。
そこに至るまでは、なかなかうまくいかず、何度もコンビを組んでは解散する日々が続いていたそうです。
そして意外なことに、芸人を目指していた頃は、おじいちゃんの家で仲間と共同生活をしていた時期もあったようです!
その家では、ご飯は後輩の親からの差し入れや仕送り、冷蔵庫にあるものでまかないながら、ホットプレートでお好み焼きや餃子を焼いたりしていたそうです。
なんだか学生の寮生活みたいで楽しそうですよね。
しかも、そのとき一緒に暮らしていた仲間のひとりが、相方・やすさんと「ずん」を組むことを後押ししてくれたんだそうです。
まさに「運命の出会い」だったのかもしれません。
苦しい時代を乗り越えて、少しずつ光が見えてきた。
そんな飯尾さんの歩みは、静かだけどとっても力強いです。
ピン芸人時代からの積み重ねが今につながる
「ずん」としての活動が始まる前、飯尾和樹さんはピン芸人としてもコツコツと活躍していました。
「笑っていいとも!」や「内村プロデュース」などの人気番組にも出演し、独特のゆる〜い空気感がじわじわと注目されました。
ちょうどそのころ、おじいちゃんの家で芸人仲間と共同生活をしていた時期も。
家計はけっして楽ではなくて、後輩の実家から届いたお米でおにぎりを作ったり、
ホットプレートで餃子や焼きそば、お好み焼きを焼いたり。
みんなでアイデアを出し合って、楽しくご飯を囲む日々だったそうです。
そしてその共同生活の中には、のちに「ずん」の相方・やすさんと組むことを強く勧めてくれた仲間もいたそうです。
今の穏やかで優しい飯尾和樹さんの原点が、こうした地道な時間にあったのかと思うと、
ますます応援したくなりますね♪
年収1億円ってホント?
ネットでは「飯尾和樹さんの年収は1億円あるんじゃないか」というウワサも。
レギュラー番組にCM、ナレーションなどを合わせると、実際かなりの収入があるかもしれません。
でも、飯尾和樹さんはそういうことをひけらかしたりしませんよね。
だからこそ、好感を持つ人が多いのかもしれません。
奥さまとのあたたかい夫婦生活
2012年、飯尾和樹さんは元カノと偶然テレビで再会。
その場でプロポーズをして結婚!という驚きのエピソードがあるんです。
飯尾和樹さんの奥さまは、実家が製麺所を営んでいる方で、家庭的であたたかい方だそうですよ。
飯尾和樹さんが料理上手なこともあり、きっとふたりでおいしいご飯を囲む、穏やかな時間を過ごされているんでしょうね。
不動産や自宅のことは?
飯尾和樹さんの持ち家や不動産については、特に公表はされていません。
でも、以前は家賃すら払えない時期があったことを考えると、今の落ち着いた生活ぶりは、すごく感慨深いですよね。
都内の物件を所有していてもおかしくありませんが、見せびらかすような派手さがないのが、飯尾和樹さんらしくて素敵です。
まとめ
飯尾和樹さんの実家は、いわゆる「金持ち」というよりも、共働きのご両親と一緒に支え合いながら暮らした庶民的であたたかい家庭でした。
銭湯に通うアパート暮らしや、小2で始めたサンドウィッチ作りなど、ちょっと地味だけど、人とのつながりを大切にする心が育った環境だったように感じます。
若い頃は芸人仲間と共同生活をしながら、お金をやりくりしてホットプレートで餃子や焼きそばを作る日々も。
その中で「ずん」結成のきっかけも生まれました。
テレビで見せる飯尾和樹さんのやさしい雰囲気や、見ていて安心できる笑いは、
きっとこれまでの暮らしや人との関わりがにじみ出ているんだと思います。
これからも、派手じゃなくても人のあたたかさで笑わせてくれる飯尾和樹さんに、ほっこり元気をもらいたいですね。