一青窈(ひととよう)さんといえば、透き通るような歌声と、心にしみる歌詞で多くの人の心を動かしてきた実力派のシンガーですよね。
「ハナミズキ」などの名曲でも知られる一青窈さんですが、実は実家が金持ちという話があるのをご存じでしたか?
しかも、ただの金持ちではなく、台湾の財閥につながる家系だというウワサもあって、
なかなかすごい背景があるようなんです。
一青窈さんの父親の職業も少し特別で、家族や実家について調べていくと「やっぱりすごい家のお嬢さんだったんだなあ…」と思わせられるエピソードが出てきます。
そんな一青窈さんの実家や家族、父親の職業、財閥とのつながり、生い立ちについて、
わかりやすくまとめてみました。
一青窈の実家は台湾の財閥で超お金持ち!
一青窈さんの実家は、ただの金持ちというレベルではなく、
なんと台湾の財閥につながる家系なんです。
家族のルーツをたどっていくと、びっくりするような背景が見えてきます。
台湾五大家族のひとつ「顔家」の出身だった
一青窈さんの父親は、台湾の「顔(イエン)家」という名家の出身です。
この顔家という一族は、台湾でも特に有名な財閥のひとつで、「台湾五大家族」のひとつにも数えられているんです。
もともとは、台湾北部の基隆(キールン)という地域で金鉱を経営して財を築いた家柄で、長い歴史を持つ超お金持ちの一族として知られています。
顔家とは?台湾の「五大家族」のひとつ
一青窈さんの祖父にあたる顔欽賢(イエン・チンシェン)さんは、かつて6万坪もの土地と大きな屋敷を持っていたそうです。
その庭園は、地元の人たちが散歩したり集まったりする憩いの場にもなっていたそうで、
顔家の実家がどれだけお金持ちで名家だったかがわかりますね。
その後、台湾の情勢が変わったことで土地は没収されてしまいましたが、それでも「政治には関わらない」という家訓を守りながら事業を続け、今でも顔家は台湾の名門家系として知られています。
財閥名 | 地域 | 代表的な家系 |
---|---|---|
顔家 | 基隆(キールン) | 金鉱経営、政治的影響も |
林家(板橋・霧峰) | 台中付近 | 鉄道・銀行など |
辜家 | 鹿港 | 金融業 |
陳家 | 高雄 | 製造業 |
顔家の転機「二・二八事件」後も名家として知られる
戦後の台湾では、政治の混乱の中で「二・二八事件」と呼ばれる大きな出来事が起こりました。
この時、一青窈さんの実家である顔家も大きな影響を受け、6万坪もの土地を没収されるという転機を迎えたそうです。
それでも顔家は、「政治には関わらない」という家訓をずっと守り続け、派手に目立つことなく、今でも静かに名家としての存在感を保っているようです。
一青窈の実家はどれくらい金持ちだったの?
一青窈さんの父方のルーツだけを見ても、かなりの資産家(お金持ち)だったことは間違いありませんね。
- 台湾五大家族の出身
- 祖父が6万坪の土地を所有
- 金鉱経営で一代を築いた
- 父は戦後日本で起業・出資
そして、その経済力は子どもたちの教育にもあらわれていて、
- 姉・一青妙さんは歯科医師+舞台女優+エッセイスト
- 一青窈さんは慶應義塾大学SFC卒業
と、姉妹ともに非常にハイレベルな学歴と経歴です。
一青窈の父の職業は?
一青窈さんの父親・顔恵民さんは台湾で生まれ育ち、日本へ留学。
日本では実業家として活動し、炭鉱会社への出資(釧路の木村炭鉱)や日台を行き来するビジネスに携わっていたようです。
母親である一青かづ枝さんと日本で出会い、結婚。
台湾へ戻り、一青妙さん(姉)、一青窈さんが誕生しました。
石川県出身の日本人女性と結婚、日本へ移住
一青窈さんの父親・顔恵民さんは石川県出身の一青かづ枝さんと結婚。
その後台湾で姉・妙さん、窈さんをもうけ、日本へ移住します。
母と子たちは日本へ移住し、父親だけが台湾に残ったという形になります。
父親の死去と家族の変化
一青窈さんが8歳のとき、父親は癌で亡くなられたそうです。
当時は、本人に病名を伝えないのが一般的だった時代。
一青窈さん自身はその事実を知らされず、母親だけが真実を知っていたそうです。
そんな背景もあってか、「ハナミズキ」などの楽曲には、家族や大切な人への深い想いが込められているといわれています。
実家や家族との絆、そして別れの経験が、一青窈さんの歌声にあの優しさや切なさを与えているのかもしれませんね。
一青窈の家系や生い立ちなど
一青窈さんは、8歳のときにお父さんを、そして16歳のときにはお母さんを癌で亡くすという、大きな喪失を経験されています。
母親の闘病中も、姉の妙(たえ)さんが病状を隠しながら看病を続けていたそうで、
家族の間には強い絆と、言葉にしきれない葛藤があったと思います。
そうした背景から、一青窈さんの楽曲には、家族との思い出や別れの痛みが込められているものが多く、「ハナミズキ」をはじめとした多くの詞が実体験に基づいて作られているといわれています。
だからこそ、一青窈さんの歌は聴く人の心に深く届くのかもしれませんね。
母親は石川県の名家出身?珍しい「一青」姓
「一青(ひとと)」という名字は母方の姓。
石川県の「一青庄」という地名に由来するもので、全国に30名ほどしかいない非常に珍しい名字です。
姉の一青妙さんも超才女!
一青窈さんの姉・一青妙さんは、歯科医師・舞台女優・ナレーター・作家とマルチに活躍されています。
台南市親善大使など、日台の懸け橋となる活動も多く、姉妹そろって才能にあふれたご家庭なんですね。
つらい別れを乗り越えて、自分の道を見つけた一青窈さん
一青窈さんは、幼い頃にお父さんを、そして高校生のときにお母さんを亡くすという大きな悲しみを経験しています。
そんな中でも前を向き、慶應義塾大学SFCに進学。
在学中はアカペラサークル「K.O.E.」に所属し、音楽活動を始めました。
そして運命的だったのが、一青窈さんが書いた詩を読んだゴスペラーズの北山陽一さんが「この詩に曲をつけたい」と声をかけたこと。
北山さんは、一青さんの言葉の中にある深い感情や静かな強さに惹かれたそうで、それがきっかけとなって、本格的に音楽の道を歩き始めるチャンスをつかんだんです。
誰かの目に留まるような言葉を生み出せたのは、家族との別れや、自分自身の生い立ちをまっすぐに受け止めてきたからこそかもしれません。
こうして生まれた一青窈さんの音楽は、ただのポップスではなく、心の奥にそっと届くようなやさしさと強さを持っているんですね。
まとめ
一青窈さんの実家は、台湾の名家で、いわゆる「財閥のおうち」だったと言われています。
たしかに経済的にはとても恵まれた環境だったんだろうなと思いますが、それだけでは語れないような出来事がたくさんあったことがわかりました。
幼い頃に両親を亡くした経験や、家族との想い出、別れの記憶。
そんな気持ちが、きっと一青窈さんの音楽に込められているんだと思います。
お嬢さまな経歴だけじゃなくて、つらさや悲しみも知っているからこそ、一青窈さんの歌がたくさんの人の心に届くんじゃないかなと感じました。
これからも、あのやさしくて芯のある歌声で、たくさんの人の気持ちをそっと包んでくれる存在でいてほしいですね。