伊藤蘭さんの実家が超金持ちで実家が吉祥寺にある約500坪と大豪邸だと言われています。
1970年代に「キャンディーズ」のランちゃんとして大人気で、 現在は女優としても存在感のある伊藤蘭さん。
その穏やかで品のある雰囲気から、「育ちが良さそう」「実家は金持ちだったのでは」という印象を持たれることも多いようです。
そこで、伊藤蘭さんのご両親の職業や吉祥寺にあると言われている大きな自宅の話、家族構成などについてまとめてみました。
伊藤蘭さんの家庭環境や背景に静かに触れていきたいと思います。
伊藤蘭の実家は超金持ち!
伊藤蘭さんの実家については、「お金持ちなのでは?」という声がたびたび上がっています。
育った場所や家族の経歴、資産の一部とされるエピソードなどがいくつかあるようです。
ここでは、伊藤蘭さんの実家が「金持ち」と言われる理由を見ていきましょう。
吉祥寺に500坪の大邸宅があった!
伊藤蘭さんの実家は、東京都武蔵野市の吉祥寺北町にあったとされています。
その敷地面積は、なんと約500坪(約1,650㎡)とも言われており、今の感覚で言えばまさに「大豪邸」です。
500坪ってどれくらい広いの?と想像しにくいかもしれませんが、 たとえば小学校の25mプールが8〜9個分ほどの広さにあたります。
土地面積 | 推定価格(現在) | 推定価格 (昭和40年代〜50年代) |
---|---|---|
約500坪(約1,650㎡) | 約13億〜16億円 | 約8,000万円〜1億2,000万円 |
吉祥寺北町は今も昔も落ち着いた高級住宅街として知られ、広い敷地の一軒家は特に価値が高く希少です。
当時(昭和40〜50年代)は現在よりも地価は安かったと思いますが、500坪もの土地を所有するにはかなりの資産が必要だったことがわかります。
こうした点から見ても、伊藤蘭さんの実家は「一般的な家庭」とは違って、相当ゆとりのある環境だったことは間違いなさそうです。
実家の敷地面積が約500坪もあるというとやっぱり、お金持ちというイメージを持ってしまいますよね。
お金持ちの理由1 曾祖父が広島市長で事業家!
伊藤蘭さんの曾祖父(ひいおじいちゃんにあたる方)、伊藤貞次さんは昔、広島市の市長をしていたそうです。
市長のお仕事を終えたあとには、満州(今の中国のあたり)でビジネスを始めて、大きく成功したと言われています。
そのときに得た資金で、吉祥寺に大豪邸を建てたという話もあるそうですよ。
政治のお仕事に加えて、ビジネスも上手だったなんて、かなりやり手の曾祖父だったんですね!
こういう経歴を見ても、伊藤蘭さんの実家がしっかりとした家庭だったということが、
なんとなく伝わってきます。
録画してたNHK #ファミリーヒストリー を見てて新発見!#伊藤蘭 さんの曾祖父・伊藤貞次さんは #富山県庁 に赴任されてたようです!伊藤蘭さんは富山県ゆかり!富山県にお呼びしなきゃ! pic.twitter.com/lIhicFg4ms
— 堀井政彦@富山のPR番長 (@horii_masahiko) September 9, 2023
お金持ちの理由2 母親の実家は大人気だった仕立屋さん
伊藤蘭さんの母親の実家は、北海道の函館で仕立屋(テーラー)を営んでいたそうです。
なんと、百貨店から注文がくるほど人気のお店だったとか!
しかも、外国のお客さんまで来ていたというから、当時としてはかなり繁盛していたんでしょうね。
ちなみに、個人でやっている仕立屋さんの収入は、お店の規模やお客さんによってけっこう差があるんです。
- 地域密着型 → 年収200〜400万円くらい
- 百貨店や高級オーダー → 年収500〜800万円
- 条件によっては1000万円以上の人も
こうやって見ると、伊藤蘭さんの母方の実家も、かなりしっかりとしたお店だったことが想像できますよね。
安定したお仕事に加えて、商売としてもうまくいっていたとなれば、 それはもう立派な経済的な支えだったに違いありません。
お金持ちの理由3 吉祥寺の土地を活用してアパート経営も
伊藤蘭さんの実家は、東京都武蔵野市の吉祥寺北町に広い土地を所有していたとされており、 その一部を戦後の復興期に売却し、得た資金でアパートを購入したというお話があります。
アパートを建てて家賃収入を得るというのは、今でこそよく聞く話ですが、 当時はまだ珍しく、かなり先を見据えた「資産運用」をしていたことがわかります。
こうした話からも、伊藤蘭さんの実家は単に土地を持っていただけでなく、それをうまく活用して収入につなげる知恵があった家庭なんだなと感じます。
吉祥寺のような人気エリアでの不動産経営は、家計の大きな支えになりますし、 それがあったからこそ、日々の暮らしにゆとりがあって、文化的な教育にも力を入れられる環境だったのかもしれません。
こういったエピソードを知ると、伊藤蘭さんの実家が「堅実で金銭的にも余裕のある家庭」だったというイメージがより具体的に見えてきますよね。
伊藤蘭の父親の職業は?
伊藤蘭さんの父・伊藤英邦(ひでくに)さんは、公務員として千葉県の役所に勤めていた方です。
担当していたのは福祉の分野で、厚生技官という専門職に就いており、障がいのある方々に陶芸や絵を教えるなど、心のケアも含めた支援の仕事をされていたそうです。
人の暮らしを支える仕事は、見えにくいところで努力が必要ですが、そうした地道な仕事に長年携わってこられたお父さんの存在は、家庭にとってもとても大きかったのではないでしょうか。
専門的で安定した職業に就いていたことは、伊藤蘭さんの実家が経済的にも精神的にも落ち着いた家庭だったことを物語っています。
こうした環境で育ったからこそ、伊藤蘭さんの上品で落ち着いた雰囲気や、芯のある人柄につながっているのかもしれませんね。
戦時中は陸軍技術研究所で軍属だったことも!
戦時中は、陸軍技術研究所に所属し、電波兵器の研究・技術支援に関わっていた経歴もあります。
当時の高度な技術職であることからも、理系の知識に長け、優秀な人物だったことが想像されます。
父と疎遠だった伊藤蘭さんの素直な告白
伊藤蘭さんはテレビ番組で、父の戦時中の経歴を知った際に「知らなかった…」と涙ながらに語ったことがあります。
仕事柄、単身赴任も多く、子どもの頃はあまり一緒に過ごす時間がなかったということもあり、 どこか距離を感じていたようですが、亡くなったあとに知る父の姿に胸を打たれたと語っています。
伊藤蘭の家系や生い立ちエピソードがすごい!
伊藤蘭さんの家族には、政治のお仕事をしていた人や、学校の先生、技術のお仕事をしていた人など、いろんな分野で活躍していた方がたくさんいたそうです。
みんなそれぞれの仕事にしっかり向き合って、まじめにコツコツがんばっていたようで、
そういう姿を見ながら育った伊藤蘭さんも、自然と芯のある人になっていったのかもしれません。
家族の生き方や考え方が、今の伊藤蘭さんの表現力や落ち着いた雰囲気につながっているんでしょうね。
おじいちゃんも「伊藤蘭」?びっくりな家族のつながり
伊藤蘭さんの父方の家系は、もともと新潟出身。
生活が苦しかった時代に、曽祖父・伊藤貞次さんが東京に出てきて、内務省や各地の県庁で働きながら、地道に財を築いたと言われています。
その息子にあたる祖父・太郎さんは、裕福な家庭に育ったこともあってか、ちょっとのんびりした性格だったようで、若いころは絵を描いて過ごしていたというエピソードもあります。
最初は無職だったため、名家の娘との結婚には反対もあったとか?
けれども、父親となってからは一念発起して法政大学に進学。
その後は川崎市役所に勤務し、公務員として働くようになりました。
ですが、大成功をおさめた父・貞次さんと自分を比べてしまい、やがてまた絵の道に戻ったそうです。
ちなみに、祖父の画家としての雅号(ペンネーム)はなんと「伊藤蘭」。
この事実をNHKの番組で初めて知った伊藤蘭さんも「それは初めて聞きました!」とびっくりしていたそうです。
こうした個性豊かな家族の歴史が、今の伊藤蘭さんの表現力や奥深い人柄につながっているのかもしれませんね。
母・八重さんは洋裁学校の先生で、裁縫のプロ
伊藤蘭さんの母親・八重さんは洋裁学校で教えていた裁縫のプロでした。
仕事で忙しい中でも、娘の服はほとんど手作り。
既製品ではなく、ひと針ひと針丁寧に縫われた服を着ていた伊藤蘭さんは、小さい頃からとてもおしゃれで上品な印象だったそうです。
シンプルだけど仕立ての良いワンピースや、季節に合わせたかわいらしい柄のブラウスなど、母のセンスと愛情がたっぷり詰まった服に囲まれて育ったのですね。
きっと、そんな日常の中で自然と「美しさ」や「品のあるたたずまい」が身についていったのではないでしょうか。
6歳上のお兄さんは飲食店を経営!
伊藤蘭さんのお兄さん、伊藤路似(るい)さんは、西荻窪で「夢飯(ムーハン)」というシンガポール料理のお店をやっています。
もう20年以上も続いているお店で、地元の人からは「おいしくてあったかい雰囲気のお店」として親しまれているそうです。
お店の名前「夢飯」には、家族の夢や食のぬくもりを大切にしたいという想いが込められているとのこと。
路似さんは、どちらかというと寡黙でまじめなタイプみたいで、その丁寧な人柄がお料理にも表れていると評判です。
地道に商売を続けている姿や、人の心に寄り添うあたたかさは、きっと家族みんなが大切にしてきたものなんでしょうね。
子育てで悩んだとき、実家に戻ったことも
芸能のお仕事と子育てを両立する中で、「もう限界かも…」と思うことがあったという伊藤蘭さん。
そんなとき、思い切って実家に帰って、少しの間だけ家族に甘えさせてもらったことがあったそうです。
落ち着いた雰囲気の吉祥寺の実家で、心も体もすこし休ませてもらえたことが、 また子育てを頑張るための、ちょうどいいリセットになったのかもしれませんね。
どんなに忙しくても、帰れる場所があるって本当にありがたいことです。
家族の存在って、やっぱり大きいなと感じさせられるエピソードですよね。
内気だった少女時代から演劇部へ
今では表現力豊かな女優として知られる伊藤蘭さんですが、子どもの頃は意外にもとても内気だったそうです。
人前で話すのが苦手で、教室でも静かなタイプだった伊藤さんは、「自分を変えたい」という思いから中学で演劇部に入部しました。
最初はセリフを言うだけでもドキドキしていたそうですが、少しずつ声が出せるようになり、小さな役でも拍手をもらえたときの喜びは忘れられないと話していました。
そんな体験がきっかけで、「表現するって楽しいんだ」「人に何かを届けられるってうれしいな」って気づいたのかもしれません。
今の伊藤蘭さんにつながる、大切な第一歩だったのかもしれませんね。
まとめ
伊藤蘭さんの実家は、いわゆる派手なお金持ちというよりも、落ち着いていて、ちゃんと地に足のついた豊かさがあった家庭だったようですね。
伊藤蘭さんの祖父や曽祖父は政治家や事業家で、母親は洋裁学校の先生、父親は公務員。
どの人も、自分の仕事にまじめに向き合っていた様子が伝わってきました。
そしてなにより、吉祥寺にあったという広い家や、不動産を活かしたアパート経営などを聞くと、 「きちんとした家庭で育ったんだなあ」と思います。
伊藤蘭さんが子どもの頃に着ていたお母さんの手作りの服や、子育てでつらいときに実家に戻った話など、 ひとつひとつのエピソードから、家族のぬくもりや支えがしっかり感じられました。
豪華な暮らしじゃなくても、安心できる場所があって、そばにいてくれる家族がいる。
そういう環境が、伊藤蘭さんのやさしさや上品さのもとになっているのかもしれません。
これからも、そんなあたたかさのにじむ演技で、たくさんの人の心をほっこりさせてくれそうですね。