おばたのお兄さんは、明るく親しみやすい芸風で人気のお笑い芸人です。
そんなおばたのお兄さんの実家は金持ちなのでは?と気になる人も多いようです。
テレビで見せる爽やかな雰囲気や、私立大学出身という経歴からも、育ちが良さそうに見えますね。
おばたのお兄さんの実家は新潟県魚沼市にあり、地元とのつながりを今も大切にしています。
魚沼特使として地元の魅力を発信するなど、出身地への愛情も深いようです。
また、おばたのお兄さんの父親や母親、兄弟との関係にも注目が集まっています。
特に母親はハウスクリーニング業を営みながら4人の子どもを育て上げたそうで、家庭の温かさが伝わります。
そこで、おばたのお兄さんの実家が金持ちと言われた理由や、家族構成、年収、嫁・山崎夕貴アナとの馴れ初めなどを、事実をもとにくわしくまとめていきます。
おばたのお兄さんの実家は金持ち説は嘘!
おばたのお兄さんの実家は、決して「お金持ち」ではありません。
子どもの頃にスキーや剣道、野球、水泳など4つの習い事をしていたため、「裕福な家庭」と思われたようですが、実際はそうではなかったそうです。
父親の事業が失敗したのちに母子家庭となり、経済的に厳しい時期が続きました。
それでも母親が懸命に働いて家庭を支えたことで、4人兄妹は明るく育ちました。
「金持ち」と言われた理由 スキー遠征費150万円の真相
おばたのお兄さんは、実は中学生の頃、かなり本格的にスキーに取り組んでいたそうです。
新潟県のアルペンスキー強化指定選手にも選ばれていて、腕前は県大会で上位に入るほど。将来的には国体出場も夢ではないレベルだったといいます。
スキーを始めたのは3歳のときで、おばたのお兄さんの実力は、周囲からも一目置かれていたようです。
ただ、スキーを続けるには想像以上のお金がかかります。
遠征費、宿泊費、用具代、保険料、コーチ代などを合わせると、年間で150万円ほどの費用が必要でした。
この金額は、たとえ実家が金持ちであっても負担に感じるレベルです。
ましてや、おばたのお兄さんの実家は母子家庭で、経済的には決して余裕があるとは言えなかったようです。
それでも、おばたのお兄さんの母親は、生活を切り詰めながらもスキーを続けられるように支え続けました。
靴やスキー板を買い替えられない時期もありましたが、「好きなことをやりなさい」という母の言葉に背中を押されて、練習を続けたそうです。
しかし、中学2年生のときに父親を亡くし、経済的な事情からスキーは断念。
その後、おばたのお兄さんは野球に転向しています。
「おばたのお兄さんは実家が金持ちだったからスキーを続けられた」といった声もあるようですが、実際にはそうではありません。
おばたのお兄さん自身、「どんなにお金がなくても、母は応援してくれた」と語っており、この時期の経験を「人生の芯を作った時期」と振り返っています。
ですので、「スキーに年間150万円かけていた」という事実が、そのまま「実家が金持ちだった証拠」というわけではなく、親子で懸命に夢を追いかけた証なのです。
現在、おばたのお兄さんは再びスキーを楽しんでおり、2023年の軽井沢大会では5位入賞、2025年にはついに優勝を果たしています。
「3歳から滑ってきた雪の上に、苦しかった日々の全部が詰まっている」とコメントしており、その言葉からも、スキーに対する思いの深さが伝わってきます。
つまり、「おばたのお兄さん=実家が金持ち」という印象は、感動的なエピソードが一部だけ切り取られた結果として広がってしまった誤解だと言えるでしょう。
母子家庭で過ごした学生時代
中学2年のときに父親が亡くなり、その後は母が一人で4人の子どもを育てました。
大学では奨学金を利用し、アルバイトで生活費をまかなう日々。
芸人を目指した頃には「1年で100万円貯める」と決め、1日70円生活をしていた時期もあったといいます。
こうしたエピソードからも、おばたのお兄さんが努力家であることが伝わってきますね。
「お金持ち」な印象とのギャップ
おばたのお兄さんは立ち居振る舞いが丁寧で清潔感もあり、話し方にも品があります。
この印象から「お坊ちゃま育ち」と思う人が多いようですが、実際は苦労を重ねた末に今の姿がある努力型の芸人さんです。
おばたのお兄さんの実家の場所と出身地
おばたのお兄さんの実家は、新潟県魚沼市にあります。
魚沼といえばおいしいお米「魚沼産コシヒカリ」が有名で、自然豊かで人情味のある土地です。
おばたのお兄さんも「魚沼は自分の原点」と語っており、地元への思いはとても強いようです。
魚沼特使として地元をPR
2017年には魚沼市の観光PR大使「魚沼特使」に任命され、市のイベントや地元の特産品を紹介する活動をしています。
地元メディアへの出演も多く、帰省のたびに地域の方々と交流しているそうです。
実家周辺のエピソード
実家の近くには「松喜屋酒店」などがある旧商店街エリアが生活圏だったといわれています。
帰省時の様子をSNSで紹介することもあり、地元の人たちとの距離の近さが伝わります。
おばたのお兄さんの家族構成
おばたのお兄さんは6人家族で、父・母・兄2人・妹1人の4人兄妹です。
兄妹仲がとても良く、番組やYouTubeでも家族の話題をたびたび取り上げています。
| 続柄 | 名前・情報 | 備考 |
|---|---|---|
| 父親 | 名前は非公開 | おばたのお兄さんが中学2年生のときに他界。 |
| 母親 | 名前は非公開 | 父親の死後、4人の子どもを女手一つで育て上げた。 |
| 長男(兄) | 名前・職業は非公開 | 詳細な情報は公開されていない。 |
| 次男(兄) | 名前・職業は非公開 | 同上。 |
| 三男(本人) | おばたのお兄さん (小幡 和貴) | 芸人・俳優。1988年生まれ。四人兄妹の三男。 |
| 妹 | 美里さん(みさと) | 名前が判明している唯一の兄妹。 |
兄たちと妹・美里さん
長男は家計を支えるため早くから就職し、母の事業を手伝っていたそうです。
妹の美里さんはテレビ番組で紹介されたこともあり、兄に似た顔立ちが話題になりました。
兄弟みんながスポーツ好きで、努力や根性を大切にする家庭だったことが伝わりますね。
おばたのお兄さんの父親
おばたのお兄さんの父親は、かつて建設業を営んでおり、家族の生活を支えていました。
当時は順調だった事業も、バブル崩壊の影響を受けて次第に経営が厳しくなり、父親は経済的にも精神的にも追い込まれていったようです。
そんな中、おばたのお兄さんが中学2年生の頃、父親は突然この世を去りました。
しかも、その葬儀は偶然にもおばたのお兄さんの誕生日に執り行われたといいます。
この出来事は、おばたのお兄さんの人生に深く刻まれることとなりました。
おばたのお兄さんは、今でも父親のことを「厳しくも愛情深い人だった」と語っています。
スポーツに励むおばたのお兄さんに対して、父親はいつも「体を動かして強く育ってほしい」と声をかけ、温かく見守っていたそうです。
おばたのお兄さんにとって、父親の存在は恐れながらも尊敬できる大きな支えであり、現在の価値観や生き方にも大きな影響を与えているようです。
おばたのお兄さんは、このような過去を乗り越えて今の自分があることを、たびたびメディアなどで語っています。
それほどに、父親との思い出は、おばたのお兄さんにとって特別なものなのでしょう。
おばたのお兄さんの母親
おばたのお兄さんの母親は、父親が亡くなったあと、それまでの専業主婦の生活から仕事を始めました。
「子どもたちを働かせたくない」という思いで、母親は自分でハウスクリーニングの仕事を始めて、今も地元で続けているそうです。
おばたのお兄さんは、そんな母親の姿を見ながら育ちました。
印象に残っている言葉のひとつが、「2階に上がるときは手ぶらで上がるな」という母親の教えです。
これは、日々の暮らしの中で、ちゃんと自分で考えて動くことの大切さを伝えたかったんだと思います。
お金に余裕がない中でも、母親はできる限りのことをしてくれました。
たとえば、おばたのお兄さんの誕生日に、プロテインの「NOAH」を買ってくれた話は有名です。
高価なものでしたが、母親なりに「応援したい」という気持ちを形にしたかったのでしょう。
おばたのお兄さんにとって、母親は本当に大きな存在です。
つらい時期でも明るく前向きにがんばる姿や、子どもたちを信じて支える気持ちは、今のおばたのお兄さんの生き方のもとになっているのかもしれません。
母親がいてくれたからこそ、今のおばたのお兄さんがある、そう言ってもきっと間違いじゃないと思います。
おばたのお兄さんの学歴とスポーツ歴
おばたのお兄さんは新潟県立小出高校を卒業後、日本体育大学体育学部へ進学しました。
高校時代は野球部で主将を務め、大学ではラクロス部で活躍。
保健体育の教員免許も取得しています。
| 学校名 | 所在地 | 在学時の活動・特徴 |
|---|---|---|
| 魚沼市立小出小学校(推定) | 新潟県魚沼市 | 野球・剣道・アルペンスキーを経験。剣道で全国大会出場、スキーで強化指定選手に。 |
| 魚沼市立小出中学校(推定) | 新潟県魚沼市 | 野球部に所属。スキーは経済的理由で中学2年で断念。父の死を経験。 |
| 新潟県立小出高等学校 | 新潟県魚沼市 | 野球部主将を務める。本人のブログやインタビューでも言及あり。 |
| 日本体育大学 体育学部 | 東京都世田谷区 | ラクロス部に所属。関東学生リーグ最優秀GKに選出。中高の保健体育教員免許を取得。 |
また、幼少期にはスキー・剣道・野球・水泳と多くの習い事を経験。
スキーでは県大会2位に入賞し、新潟県の強化指定選手にも選ばれました。
しかし遠征費の負担が大きく、競技を続けるのは難しかったそうです。
大学では同学年に体操の内村航平さんがいたことも話題になっています。
おばたのお兄さんのスポーツ歴
おばたのお兄さん(本名:小幡和貴)といえば、芸人として明るくユニークなキャラクターが人気ですが、実は本格的なスポーツ歴を持つアスリート系芸人でもあります。
学生時代からさまざまな競技に挑戦し、今も現役で結果を残しているという一面は、あまり知られていないかもしれません。
幼少期からとにかく体を動かしていたおばたのお兄さん
おばたのお兄さんは、新潟県魚沼市で生まれ育ち、幼いころからスキー・剣道・野球・水泳といった多くのスポーツに親しんでいました。
剣道では全国大会(日本武道館)への出場を果たすほどの腕前で、スキーでは県大会で2位に入賞。新潟県のアルペンスキー強化指定選手にも選ばれた実績があります。
しかし、スキーは遠征費などの経済的な負担が大きく、続けていくのは簡単なことではありませんでした。
それでもおばたのお兄さんは、スポーツへの情熱を失わず、別の競技にもどんどん挑戦していきます。
小学校時代
- 地元の少年野球チームに所属
- 剣道では全国大会へ出場
- スキーで県大会2位、強化選手にも選出
中学校時代
- 野球部に所属し、地域大会などで活躍
- 経済的事情によりスキー競技は断念
高校時代
- 新潟県立小出高校の野球部でキャプテンを務める
- 野球と並行してスキーも続け、地元大会などで実力を発揮
大学時代(日本体育大学 体育学部)
おばたのお兄さんは、スポーツに関心のある学生が多く集まる日本体育大学体育学部へ進学。
大学ではラクロス部に所属し、関東学生リーグで優勝、さらに最優秀ゴールキーパーにも選ばれました。
この大学時代には、あの体操の内村航平さんと同級生だったこともよく知られています。
同じ年に入学し、別の競技ながらそれぞれの分野で高いレベルを目指していたという共通点があります。
おばたのお兄さん自身、この「内村航平さんと同級生」というエピソードをテレビやインタビューでたびたび語っており、意外な接点として話題になっています。
社会人以降
- 2008年:国際雪合戦大会に出場し、チームで優勝
- 2023年:スキー大会で優勝し、現役競技者としての実力を示す
おばたのお兄さんは教員免許も持っている本格派
大学卒業後、おばたのお兄さんは中高の保健体育教員免許も取得しています。
つまり、芸人になる前は正式に「体育の先生」になる道も視野に入れていたということ。
実技だけでなく理論的な知識もしっかり持っており、運動神経だけでなく、本物のスポーツ知識人でもあるのです。
おばたのお兄さんのスポーツ歴をまとめると、
- 剣道(全国大会出場)
- アルペンスキー(県大会2位、強化指定)
- 野球(高校では主将)
- ラクロス(関東リーグ優勝・最優秀GK)
- 雪合戦(国際大会優勝)
という、非常に幅広く、しかもそれぞれで実績を残している点が特徴です。
芸人という枠に収まりきらないこの才能は、テレビ番組の運動企画などでも発揮されており、「運動神経が良い芸人」として確固たるポジションを築いています。
そして何より、おばたのお兄さんは今もスキー競技を続けており、2023年の大会で優勝するなど、現役アスリートとしての顔も持ち続けています。
お笑いとスポーツのどちらにも全力で取り組むおばたのお兄さん。
その多彩な活動のルーツは、まさに子ども時代から積み重ねてきたスポーツとの向き合い方にあるのかもしれません。
おばたのお兄さんの年収と生活
2025年時点でのおばたのお兄さんの推定年収は約2100万円前後。
テレビや舞台のほか、YouTube・TikTok・イベント・書籍など幅広く活躍しています。
芸人としてだけでなく、家族を支える夫としての姿も印象的。
浪費をせず、堅実な生活を心がけているそうです。
おばたのお兄さんの妻・山崎夕貴アナとの関係
おばたのお兄さんは2018年3月、フジテレビアナウンサーの山崎夕貴さんと結婚。
出会いは番組共演がきっかけでした。
交際中に報道が出たこともありましたが、誠実に向き合い関係を修復。
現在は共働き夫婦として支え合いながら、2023年に生まれた長男と3人で暮らしています。
離婚の噂も出たことがありますが、実際はとても円満で、夫婦でYouTubeや育児番組にも出演しています。
おばたのお兄さんの本名・プロフィール
- 本名:小幡和貴(おばた かずき)
- 生年月日:1988年6月5日(36歳・2025年現在)
- 出身地:新潟県魚沼市
- 身長:166cm
- 血液型:B型
- 所属:吉本興業
芸名「おばたのお兄さん」は、「兄貴分の明るいキャラクター」に由来しています。
スキー検定1級、中高の保健体育教員免許、メンタルトレーニング資格なども持っており、
スポーツや教育分野の講演活動も行っています。
YouTubeの登録者数は17万人を超え、家族や地元・筋トレ・育児などの話題を発信しています。
まとめ
実際のところ、おばたのお兄さんの実家は金持ちというわけではありませんでした。
むしろ、中学2年生のときに父親が亡くなって、そこからは母親が1人で4人の子どもを育てた母子家庭でした。
小さいころからスキーや剣道、野球、水泳などたくさんの習い事をしていて、
スキーでは新潟県の強化指定選手に選ばれるくらいすごかったおばたのお兄さん。
でもスキーって遠征費や道具代がすごくかかるので、実家の負担はかなり大きかったそうです。
それでも母親は、「好きなことをやりなさい」って応援し続けてくれたんですね。
大学ではラクロスで活躍して、あの体操の内村航平さんと同じ学年だったというのもびっくりな話です。
今では「魚沼特使」として地元の新潟県魚沼市の実家のある地域をPRしたり、芸人としても活躍したり、すごく頑張っているおばたのお兄さんですが、
その裏には、夢をあきらめなかった努力の毎日があったことがよく分かりました。
いろんな困難を乗り越えてきたからこそ、今のおばたのお兄さんがあるんですね。
テレビで見る笑顔の奥に、家族や地元の支え、そしてたくさんの努力があるんだと思います。